ニートのアンビバレンツな心情。

実家暮らしニートの心情をつづっています。感情の吐き出し、整理、思ったことなどなんでも。

パチンカスの両親のもとで育つと欲しいものを欲しいと言えなくなるはなし。

うちは貧乏だった。
父は派遣社員として働き、母は基本的に専業主婦で、パチンコで負けてどうしようもなくなると働きに出ていた。
 
小さいころは両親も家で留守番させるのは気が引けたのか、出かけるときは連れて行ってパチンコ屋の前で私を待たせていたけれど、ある程度成長すると家に放置されるようになった。
 
土日は父親も母親も休みなので、パチンコに出かける。父のパチンコに対する情熱はすごいと思う。休みを全部つぶしてパチンコに行く。そして負けて帰ってくる。
 
派遣社員、専業主婦、子どもの家族に余裕などあるはずがなく、パチンコで負けるとそれは家計に直撃する。
父はお金があるとすべてパチンコに突っ込む性質なので余計にそうだ。
 
ちなみに、パチンコでお金を失うと、わかりやすく食事がソースかけごはんとかポン酢かけごはんとか、マヨネーズごはんとかになる。調味料とご飯さえあれば人間は充分生きていける。おかずは当然ない。腹が膨れればなんでもいいので、別に文句もなかった。おいしいしね、ポン酢かけごはん。今はやらないけど。
 
そんなわけで、父がお休みの日に家にいるときはお金がないときで、家にいないときはお金が(一応)あるときだ。
ちなみにそれは20年以上経った今も続いている。父はギャンブル依存症だし、治す気はないし、これから治ることもないのだろう。
 
そういう事情であったので、うちは大体いつも貧乏だった。
 
貧乏というのは、お金がないということだ。
お金とは、お菓子を買ったり、シールを買ったり、ものを買ったりするときに使うもの。
「お金」がなくなると、両親は喧嘩をし、疲れた顔をして働きに出かけ、私に八つ当たりをする。理不尽に怒られる。
 
小さなころ、「お金」がなくなることは恐怖だった。
 
両親がパチンコに出かけ、朝9時には家を出て、夜11時とか12時に帰ってくるとき、「今日はどっちだろう」と恐ろしかった。
 
パチンコで勝ったときは、スーパーなどにいっておいしいおかずやお惣菜を持って帰ってくる。
 
だけど負けたときは手ぶらで、大体言い争いをしながら帰ってくる。険悪な空気。下手に声をかければ母はヒステリーを起こして私に当たる。呼吸すらするのをはばかられるような、あの雰囲気。それもこれも、負けたから。「お金がないから」だ。
 
ものを買うこと、ものを欲しいということは、お金を使う行為だ。お金がなくなる行為だ。
 
それを学習してから、私は「ものがほしい」「外食がしたい」「おいしいものが食べたい」と両親に言えなくなった。
 
何かを欲しがることは悪いことだと思った。
一人っ子にもかかわらず、人に何かを要求したり、甘えたりするのが苦手になったのはこのせいだと思う。
 
今も、あまり上手に人に甘えられない。結婚して専業主婦になって……という夢が見られないのもここに由来する。人に頼り切ってお金をもらい、つかい、やりくりすることにとてつもない抵抗感を覚える。
 
人に何かをしてもらうこと、迷惑をかけることに抵抗感や罪悪感を覚える性質であることは、生きていく上でとてつもない苦痛を私にもたらした。
社会に出たら人に迷惑をかけないと生きていけない。だけど迷惑をかけると心がものすごくしんどい。死んだほうがマシだとすら思う。死のうと思ってロープに首を通したこともある。
まあそのへんの話はまた別の機会に吐き出すとして。
 
そういうわけで、ものを素直に欲しがれなくなった私は、たまに両親がパチンコで勝って、「何か欲しいものはない? 買ってあげるよ」と言ってくれても、「ううん、別に」と答えるようになった。
 
特にほしいものはない、と私はそのとき思っていたのだけど、今考えると欲しいものはあった。
 
「欲しいものはない?」
「ううん、別に(何もいらないから、パチンコに行かないで、一緒に過ごして、二人とも喧嘩をしないでほしい)」
 
それが本当の望みだったのだと思う。
 
今もそうだけど、父はパチンコが趣味で依存対象で楽しみだからもう仕方がないとあきらめている。
 
私はゲームが好きだし、ゲームに夢中になると寝食を忘れる。父にパチンコをするなということは、私にゲームやパソコンをするなと言っているようなもので、人生の楽しみがなくなってしまうのだろう。
(やっかいなのが、パチンコにいくのは「お金を稼ぐ行為」だと芯から信じていることで、娯楽費であるという意識が一切ないことだ。娯楽費と割り切ってしまえば生活費とわけて考えることもできるだろうに。ニートで実家暮らしの私は何かを言う権利はない)
 
こうして大人になって、社会に出てお金も稼いだし、またニートに逆戻りしたりもしたけれど、この「ほしいものを欲しがれない問題」は未だ根深く私を蝕んでいる。
 
ニートになったことは、ある意味その問題を克服するための一歩だった。
もう働きたくない、死ぬくらいなら働くのをやめよう、と両親に頼る生活を「欲しがった」。
 
それは受け入れられて、今も私はニートをしている。いつかは改善されていくのかもしれない。
 
お金に関しては頼りにならない両親だけど、いつか恩返しができればいいなと思う。
いつか、がいつになるかは、いまのところ、わからないけどね。